東大駒場キャンパスに行ってきた

公務員志望の学生向け講演があったので、東大駒場キャンパスに行ってきました。

 

端的に言うとめっちゃメンタルにきました。

薄々感じていたことではあるけど、どうやら僕は都内の大学にかなりのコンプレックスを持っているようです。

東京都心にある、日本最高学府の立派なキャンパスは僕の心を打ちのめすには十分すぎるものでした。

 

最近、高校も大学も本当にクソみたいな環境だったんだなとよく感じます。

高校は学校自体(校則や雰囲気等全て)が、大学は友人関係が本当にクソだった。

 

これを書いている今も正直気が狂いそうです。

 

もう一つ、講師の方と自分を比べて思ったこと。

・心が全く健康状態にないこと。

・キャパが少なすぎること。

です。

 

色々なことに気付けたので、まあ行って良かったと思います。

 

肝心の公務員についてはというと…

公務員試験対策の勉強なんてしてる暇ねえなと思いました。

 

 

鬱状態だけど、そういう人生だし、そういう人間だから仕方ないないのかなと。自分を責めるのはダメだと思いました。

 

 

小学校の時ちやほやされすぎて、周りの評価を得られないことに慣れていないのかもしれない。

 


あ、それと乃木坂のライブめっちゃ行きたかったな。

 

 

「休日は何をしているの?」と聞かれるのが嫌い

「今何してるの?」とよく聞かれます。

多分正直に答えたら見下されそうなので、この質問が好きじゃないです。

 

実際何をしているかというと、筋トレと英語の勉強をしているくらいです。

あとは飯作ったり、家事や金の管理したり、オナニーしたり(ここ大事)。

本当にそれだけです。

 

人から見たら何もしてないのと変わらないかもしれませんが、僕にはこれ位しかできないし、僕にとっては筋トレも英語もとても価値のあることです。

 

 

 

 

 

友達について。

 

最近、友達を全切りしてもいいかなと考えています。

友達と会っても大して面白くないし、生活リズムが崩れて心の底から嫌な気分になることが多いです。金もかかるし。

 

で気付いたのですが、これは誰々がどうこうということではなく、自分自身の問題なんじゃないかなと。

 

 

いつか人里に戻ってくると思う。

それまで、さようなら。

 

 

 

強迫性障害と僕の人生

自分で言うのもなんだが、僕は小さい時から勉強もスポーツも良くできた。

しばらく続けていたサッカーは同学年ではかなり上手い方だったし、勉強も小、中では学年でトップに近いところにいた。

 

中学で発生した強迫性障害により、高校受験に失敗してしまった所あたりから人生が狂っていった。

公立高校に行くために当時の自分だったら絶対受かるだろう高校を受験したが、テスト中の強迫行為により大幅に時間をロスし、結果は不合格。

 

そうして行くことになった私立高校がまあ(僕にとっては)最悪の高校だった。

校則が異常に厳しいこと、サッカー部がクソだったこと、滑り止め用私立高校ならではのネガティブな雰囲気。高校生活という青春時代を楽しむ要素は皆無だった。

そして僕はそこでも強迫性障害によって苦しむ。

部活中に強迫が発動してしまい、思うようにプレーができない。そんな自分が嫌になり、ちょうどその時始まったサッカー部の退部ラッシュの流れに乗っかる形で、部活を辞めてしまった。

 

大学受験は強迫の症状を抱えながらもなんとか国立大学に合格した(それでも第一志望は落ちた)。

強迫性障害はというと、高校を卒業後、実家の引越しをきっかけに随分良くなった。あのボロい団地と僕の強迫性障害とは関わりが深かったようだ。

とはいえ、大学時代から就職後に至るまで、相変わらず苦しい思いはしている。

なんというか、強迫性障害の“名残り”というか、言わば、強迫行為のない強迫性障害といった感じで、仕事や勉強、スポーツ等あらゆる場面で僕の邪魔をしてくる。

 

で、大学時代。

めっちゃ辛かった留年をかけた戦いと就職活動。

3年の時は毎日丸一日図書館に引きこもっていた。

就活はなんとか滑り込みで東証一部上場の企業に内定をもらう。

そこから卒業までがまたしんどく、図書館籠りの生活。

幸せなんてほぼなかった気がするし、何のために頑張ってんだか分からず、何とかやり過ごしていた。

 

会社の一年目。

影を潜めていた強迫症状が顔を出す。

症状がひどくなったわけではなく、そもそも仕事をすること自体、こんな症状を抱えながらできることではないと感じていた。

強迫による自己嫌悪によって僕の精神状態は地獄だった。

 

ところで、僕が入った会社は非常に良い会社であった。

配属先の上司や同期はいい人たちばかりだった。

スポーツ系の部活がさかんで、バスケ・サッカー・テニスなど何でもかんでも参加していた。

その中で僕を好きだと言ってくれた同期の女の子がいた。

僕の精神状態はボロボロだったのだが、運動神経だけは良かったので、なんかちょっとモテていた。

クリスマスイブのデートが、まさか最後になるとは思いもしなかった。

 

年末年始の休暇が終わる頃、実家である事件が起きた。

年明け初出社の前日、僕の精神状態を心配した親が課長に直接電話をして休みを取るという暴挙に出る。で、しばらく休職。

一回休んだらもう戻れないだろうという当初の予測通り、それから僕は二度と出社することはなかった。

ちなみに親は二人とも社会的には終わっていて、父は躁鬱病だ。優しい両親ではあるが、僕の意志に反して休職させてしまったことは、大きな過ちであったと思う。

 

 

現在はというと、貯金とバイト代で生活しつつ、好きなことをして、そこそこ楽しく過ごしている。サラリーマン生活にはかなり疑問を感じていたので、ふっ切れた感はある。

しかし、ふとした時に心の闇が僕を襲ってくる。

強迫性障害じゃなかったらと思うと死ぬほど辛いのだ。

最初にも書いたが、僕は勉強もスポーツでき、見た目もそこそこで人当たりも良い方だと思っている。だからこそ、“あったかもしれない人生”を思うと、死にたくなるのだ。

 

僕は、彼女は大学の時に一年半付き合った人が一人いるだけだ。素人との経験人数もその一人。

高校ではまともな青春を過ごせなかった。

幼い頃から今でも抱いている理想と、現実のギャップが僕を苦しめる。

 

もう一つ辛いことは、その苦しさを誰とも共有できないこと。

強迫性障害を誰かに相談しようとは思えない(今までは精神科の医師と親だけ)。

人生で何か困難を乗り越えてきた人は多いと思うが、僕の場合人生のあらゆる場面で強迫という名の困難が付きまとい続けてきた。

強迫性障害によって自分の能力が発揮できないことが苦しい。

受験に失敗し、大好きだったサッカーも途中で辞めてしまい、仕事もまともにできない。

世の中ポジティブの重要性ばかり説かれていて、僕も何度か試みたが、結局ポジティブになんかなれるわけがない。

 

いったい僕はいつ幸せになれるのだろうか?

 

今だっていつか幸せになれるかなと思って生きてるが、思えば昔からずっとそんな感じだった気がする。

留年バトルの時、就活の時、会社員の時。いつかは幸せになれると思っていた。

でも、そんなことはなかった。

いくら頑張っても、僕が思い描いたようにはならない。

 

会社を続けていれば少しは幸せになれたんだろうか。

彼女ができれば、あの地獄のような生活も少しはマシになったんだろうか。

いずれにせよ、強迫がなければあんな地獄は存在しなかったし、親が不要な介入をしなければ、僕はまだ一部上場企業の社員だった。

 

どっちが良かったかなんて分からないし、そもそも僕は「あの失敗があったおかげで今がある」みたいな考え方にどうも馴染めない。

会社員を続けていたらいたで、そこにはやはりその人生があるのだから。

 

 

最後に山田ルイ53世さんの記事を紹介して終わろうと思う。

この記事の内容は本当に共感できるもので、読む度に泣いちゃいそうになる。

 

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今の生活

今の生活が続けばいいなと思っている。

好きな時に筋トレして、読書して、英語の勉強して、プログラミングの勉強して。

お金はそれを維持するために必要なものであって、それ以上でも以下でもない。

そのために今必要なのは月20万くらいだとテキトーに概算してて、それ以上はいらないと思っている。

仕事が充実してきても、それに追われるようになってしまっては本末転倒なのだ。

その方が世間体が良いからすぐに騙される。

 

やりたいことはこれからも増えていくだろうし、未来の自分にはその時なりの価値観がある。

 

彼女と女性の友達が欲しいけどこればっかりは難しい。

作ろうとしてできるものではないんじゃないかな。

勉強をする目的

勉強をする目的は二つです。


①好きだからやる

②”運転免許証”の取得のため


本来なら①だけであるべきなのですが、今の日本の学歴社会だとそうもいかないのです。


”運転免許証”とは”〇〇大卒”という学歴のことです。

学歴があると本当に色々なことがフリーパスでできるようになるのです。大手企業にも入りやすいし、企業もしやすい、他人からの評価も、学歴があるのとないのとでは全然違います。例えば、このようなブログの発信にしても、東大卒と無名大卒では、全く同じ内容でも伝わりやすさが全然変わってきます。

男であれば学歴があればそれなりにモテます。

勉強が好きで、能力もある人にも会ってきましたが、そんな人たちは大学名に執着しません。勉強自体が目的である以上、名前なんてどうでもいいのです。



けものフレンズ 感想 ~競争のない世界~

けものフレンズ」という深夜アニメ(全12話)にどはまりしたので、その感想を書きます。

 

けものフレンズは「ジャパリパーク」に、様々な動物が「女の子に擬人化」して暮らしているという世界観です。

擬人化された動物(女の子)たちはお互いのことを「フレンズ」と呼び合っています。

(例.アルパカのフレンズ)

そこに生まれた「ヒト」のフレンズ、かばんちゃん。

生まれた時点でかばんちゃんは自分が何のフレンズか分からないので、友達のサーバルちゃんと共に自分が一体何のフレンズなのかを知るための旅に出ます。

 

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左がかばんちゃん、右がサーバルちゃん

 

 

僕は大分ブームに遅れたのですが、放送当時から大反響だったようで、「優しい世界」、「IQが下がる」とのパワーワードで話題でした。

主役を演じる声優の方がミュージックステーションに出演した際に、

「すっごーい!タモリさんはイグアナのフレンズなんだね!」

とぶちかましたことでも話題になりました。爆笑しました。

 

【優しい世界】

けものフレンズの魅力の一つが「優しい世界」です。ネット上では、

「現実が辛いのでけものフレンズの事しか考えられない」

「優しい世界でしか生きられなくなった」

など、けものフレンズの世界から帰れなくなってしまったフレンズも多かったみたいです。

 

 

けものフレンズがなぜ「優しい世界」なのか。

それは競争がない世界だからだと思います。

ジャパリパークにはなぜか、どこからともなく「じゃぱりまん」が供給され、食べるものに困りません。

フレンズは女の子しかいないので、恋愛も存在しません。ゆえに異性をめぐる競争もない。

お金も存在しないので経済的な競争もない。

 

さらにフレンズたちは元々違う動物なので、能力や才能の競争もない。

お互いの個性を尊重し合って生きています。サーバルちゃんなら「足が速く、跳躍力のあるフレンズ」、かばんちゃんなら「頭がよく、道具を使え、文字が読めるフレンズ」といった具合です。サーバルちゃんの、「君は何が得意なフレンズなの?」「大丈夫!絶対に何か得意なことがあるよ!」というセリフは優しい世界の真髄にあふれています。

 

というかそもそもこの世界では、他のフレンズと比べて優位性を持っていなくても、それ

ぞれが好きな事をやって、それが許される世界です。カフェを営んだり、歌を歌ったり、

アイドルのおっかけをしたり。

 

現実世界はといいますと、

日本はこういう優しい世界を実現できるポテンシャルを持っているはずなのに、ぶっちゃ

世知辛い世の中です。

日本に生まれたならば、食べ物に困る事はまずありえません。

家柄や資産、才能に関係なく、豊かに暮らせていける国なのです。

それなのになぜか日本はけものフレンズの世界のように「優しい世界」ではないように感

じます。

 

その原因は「風潮」とか「空気」にあると思います。

 

日本は多様性を認めない空気がすごいです。

 

小さい頃から、「良い大学に行って、良い会社に勤めて、結婚して子供を産んで、普通

の生活」をすることが正義という考えが擦り付けられています。もしくは、スポーツなり

起業なり、ユーチューバ―なりで結果を残している人は「すげーな」みたいな。でもそこ

の競争は激化していて、よほど差別化できない限り結果は出せないし、誰しもがうまくい

く訳ではありません。

 

こういった風潮の原因は奴隷教育にあると思っているのですが、それについてはけものフ

レンズと話がそれすぎるのでやめておきます。

 

 

今は、「競争が好きな人」や「負けず嫌いの人」が成功しやすい世の中です。

 

それも個性の一つであり、それ以外の個性を認めないというのは間違いではないでしょう

か。

 

僕はあまり競争が好きじゃないので、こういう優しい世界がいいなと思います。

今24歳ですが、世間の風潮に流され続けて、自分が何が好きなのか、何が得意なのかすら見失いかけています。

 

けものフレンズ」がこれほど話題になるということは、薄らとこのような空気に疑問を持っている人が多いのではないでしょうか。

 

 

みんな!けものフレンズを見てもっとIQを減らして生きていこう!

 

うみゃみゃみゃみゃーーーー!